◆S46.10.15 東京地裁 昭和33(行)103 懲戒処分取消請求事件(76)◇
校教育の正常な職制による運営および教育的秩序を破壊するところに、教育的法益の侵害として、看過できない非違を包含しているものといわなければならない。
(2) 教育の本質よりみた教員の争議行為の有害性
教育基本法第二条は、「教育の目的はあらゆる機会にあらゆる場所において実現されなければならない。」と規定しているが、学校教育における被教育者(児童・生徒)は、たえず成長発達しているのであるから、人間接触の可能な時と所のすべてにおいて、教育は実践されるべきである。
そうして、教育活動は、平常以上の時間的または能率的努力を払えば後日阻害結果を回復することの必ずしも不可能ではない物品生産のような活動とは、本質的に異なるものがある。すなわち、教育は、人格の完成を目的とし、場所的・時間的に非限定的なものであつて、その過程は不断の成長の過程であり、予定された完全な状態で停止するというようなものではなく、毎日毎日が人間価値の形成であり、創造であり、人格完成への一過程をなすものであつて、決して後日補充しうべき性質のものではない。
また、教師による指導の役割りを一方的な知識の伝達にとどまるものと解し、教師は単なる知識の伝達者であり、もつぱら教師が主体となつて客体である児童・生徒に一定量の知識を教授し、他方、児童・生徒はなんらみずから能動的に活動することなく、もつぱら受容本位の立場にあつて、教師から与えられる一定量の知識を受け入れるにすぎない容器のようなものとするならば、後日の補充により、これを回復することも可能であろう。しかし、児童・生徒は、かかる主体性と能動性を否定された存在ではないのであつて、教師により与えられた知識をただ一方的に受け入れるにとどまらず、かくして得られた知識経験に加うるに、自己の活動を通して積極的に学習環境に働きかけることにより、みずから知識を習得し、成長発展して行くのである。
そして、教師による指導も客観的な知識の伝達のみならず、児童・生徒のこのような主体的な知識習得のための契機を作り出してやる活動であり、児童・生徒の獲得せる知識経験を目的意識的に発展させる一連の継続した仕事である。
つまり、教師による指導は、児童・生徒の成長・発展と原


