◆S46.10.15 東京地裁 昭和33(行)103 懲戒処分取消請求事件(65)◇
母集会を開くこと、父母の反対署名を集めることなどを決定した。都教組本部で同年三月四日に講演会を開いたほか、同年二月から四月にかけて、すべての支部がこれに取り組んだ。この努力が父母を動かし、たとえば、三鷹市議会での満場一致の勤務評定反対決議、国立町教育委員会など都下四町の勤務評定反対の態度へと発展したのである。
(E) 都教組は、同年三月末の勤評規則制定の危機を乗り越えて四月を迎えた。しかし、同月中に右規則を制定して実施しようとする被告の態度は、ついに交渉を通じても変えさせることができず、同月二三日を迎えるに至つたが、都教組が同月二一日の交渉の席上前述のような条件をつけてまで交渉の継続を要望したこと、あるいは、同月二三日早朝まで戦術委員全員を本部に待機させて丁教育長と交渉するなど、最後の寸前まで事態回避のために努力したことは注目に価しよう。
それにもかかわらず、同日勤評規則の制定が強行されるに至り、それに対して本件争議行為が行なわれた。
(F) この交渉決裂の経過をみても明らかなように、被告は、当初から勤評規則の制定・実施を交渉事項と考えず、したがつて、組合の主張にははじめから耳を傾ける意思がなかつたことが明白であり、現に都教組の勤評規則撤回の要求をまつたく無視していた。しかも、勤評規則は、全国的にもそうであるが、東京都の場合、昭和三三年四月から実施しなければならない必要性も理由もなかつた。世論や現実に勤務評定を受ける教員がこれに賛成していたならばともかく、教員や教員組合はもちろん、日本教育学会を含め世論のすう勢も勤評規則の強行実施には反対であつたのである。
それにもかかわらず、被告が勤評規則を強行実施したのは、前述のような意図があつたからこそであり、交渉を長びかせ、検討の期間を延ばすことによつて、ますます勤評規則の不合理性・反教育性が明るみに出ることをおそれて、同月二三日に一方的に強行実施をしたのである。
(2) 本件争議行為の結果とその影響
争議行為(ストライキ)が教育に及ぼす影響については、すでに述べたところである。教育という職務の性質から、教育給付の一時的中断は、争議行為を禁止し、これに対して処分を加えなければならないほど


