昭和46年行政訴訟…懲戒処分取消請求事件(64)


◆S46.10.15 東京地裁 昭和33(行)103 懲戒処分取消請求事件(64)◇

◆S46.10.15 東京地裁 昭和33(行)103 懲戒処分取消請求事件(64)◇

暇戦術および非常事態宣言の圧倒的多数による採択となつてあらわれた。
晴海の大会と都教組臨時大会、それは、東京の全教員の結集した怒りが行動にあらわされたものであつた。教員が教壇を一瞬たりと離れることを決意したとき、その抗議に耳をかさない教育行政者にはその資格があるといえるであろうか。
第四回の交渉以降、交渉のたびごとに、各分会から二名、あるいは、全組合員の二割ないし六割の組合員が連日のように教育庁前に集まり、抗議の意思を伝えた。そして、教員たちは、自分の目と耳で交渉にみられる勤務評定の本質を改めてみつめた。この交渉に対する大衆動員は、組合員の抗議の意思を被告と世論に示すことと、交渉の実態を組合員に知らせることとの二つの成果をもたらした。
(C) 同年三月末に至り、被告は、都議会議長などのあつせんにより、ついに同月中の勤評規則制定を断念し、交渉は四月に持ち越された。
一方的に交渉を打ち切り、三月中に勤評規則を制定しようとした被告の意図をくじき、曲がりなりにも交渉を継続させる方向に持ち込んだ力は、始業式を含めて同年四月七日以降休暇闘争をも辞さないと臨時大会で決定させた教員の決意であつた。
交渉を継続し、その中で問題を解決しようと努めた都教組の努力も、教員のたたかう決意を示すことなしには、部分的にもその目的を達成することはできなかつたであろう。
(D) 一方、都教組は、世論に勤務評定問題の重大性を訴える努力をも欠かさなかつた。休暇闘争の目的が世論に問題の重大性を訴えることにあつたように、世論を盛り上げ、世論の包囲の中で勤評規則の制定・実施を阻止しようとするのが、団体交渉とともに、都教組の一貫した方針であつた。都教組本部以下全組合員は、そのために、全力をあげて努めたのである。
すでに昭和三二年秋ころから、教育白書(教育の実態を教員が父母に明らかにした白書)の支部・分会単位の発表などとともに、勤務評定の問題を父母に訴える努力は、各支部・分会において行なわれた。さらに、年を越すと、父母に対する訴えは、きわめて広範囲、かつ、精力的となつた。昭和三三年二月四日に開かれた都教組の第一七回臨時委員会は、第一次闘争スケジユールとして、分会単位に父



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