◆S46.10.15 東京地裁 昭和33(行)103 懲戒処分取消請求事件(47)◇
れ、公立であれ国民の受ける争議行為による影響は、当該学校の争議行為によつて受けるそれであつて、事業の独占性・広域性とはなんらかかわりのないことなのである。
4 教育の柔軟性・弾力性―教育の実情と争議行為の影響―
以上のように、学校教育という職務の特質よりみて、公立・私立、義務教育であるか否かの区別を問うところなく、教員については争議権を制限することのできないことは明らかである。
しかしながら、仮に制限される余地が理論上あるとしても、現実に国民生活に重大な障害をもたらすことがあるかどうかは、さらに具体的に検討されなければならない。ところが、現実に行なわれている教員の職務の実際の姿をみるならば、争議行為による職務の一時的停廃が国民生活の一部である教育に重大な障害をもたらすことはありえないという結論にふたたび到達する。
(1) 教育という職務は、長期的・計画的に遂行され、日常的に弾力性・柔軟性をもつて実施されているところに特質がある。すなわち、学年を通じて実施されるべく定められた教育内容は、教師によつてさらに各学期ごとに大まかに進行の計画が立てられていく。その場合に、その進度は、おおむね平均されているとはいうものの、生徒・児童の理解に応じて、あるときは速く、あるときは遅く進められていく。ある場合には繰り返して行なわれる。そして、各学年は一応の単位とされながらも、必ずしも相互に断絶したものではなく、新年度に当たり前年度の総ざらいを行なうことも、また、進度に応じては翌年度に理解されてよいところにまで及ぶ場合もある。
このように、教育の成果は、短期間に測定できず、長期に観察してのみ測定されうるのである。また、その成果は、短期間をとつてみると、授業時間数に比例するものでもない。問題は、密度なのである。
こうしてみると、教育においては、時間数をもつてのみ教育内容を測ることはできない。当初予定されなかつた授業以外の学校行事が突発的に発生したり、あるいは、伝染病による休校が生じたりして、しばしば授業時間がカツトされる場合もあるが、こうした場合の生ずることをも想定して授業が行なわれるのであるし、また、そのことを抜きにしても、授業時間がカツトされたから当初


