◆S46.10.15 東京地裁 昭和33(行)103 懲戒処分取消請求事件(44)◇
実に苦痛を与え、切迫した苦痛の状況をつくり出すということにはならない。したがつて、このような教育の特質からみて、教育は、争議権を制限しうるような国民生活上の利益には当たらないことになる。争議権の制限が問題とされるのは、現在の国民生活に直接打撃が与えられる、その切迫した苦痛を回避するためだからである。そうした現実的に切迫した現在の苦痛を避けるという目的もなく、いたずらに公共性の存するがゆえに争議権を制限すべきであるということはできない。
第二に、教育が未来をめざし、未来のために長期的に行なわれる創造作業であるとすると、国民は、長期間にわたる教育の結果、その成果を将来においてのみ真に享受することになる。
そして、このように長期間に及ぶ教育の結果においてのみ教育の成果は判断されるべきものであるとすると、教育という国民生活上の利益は、争議行為という一時的停廃によつては、その利益に重大な障害がもたらされるということはできない。教育に限らず、長期間にわたつて継続的に遂行され、将来においてのみ成果のもたらされる職務においては、職務の一時的停廃が国民生活に重大な障害をもたらすとみるべき余地はもともとないのである。
第三に、いかに教育が重要であるといつても、教育は、それ自体、生存権実現のために、直接、固有・不可欠のものとはいえない。したがつて、教育がいかに重要であるとしても、生存権実現のため直接固有・不可欠なものではない以上、その利益を守るために、労働者にとつて生存権実現のために固有・不可欠の権利である争議権を制限することはできない。この点において、すでに、教育という利益は争議権を制限しうるものでないことが明らかである。
以上三点について述べたような教育の職務の特質、教育という利益の特性に着目してこそ、旧労調法では公立を含め教師の争議権が解放され、また、現在の労調法でも学校は公益事業とされていないことが理解されるのである。
(2) 公立・私立の差異および義務教育の特殊性の有無
(@) 以上の学校教育の特質の視点に立つて争議権を考えるとするならば、その学校教育が公立であると私立であると、また、いかなる段階の教育であるとを問わず、学校教育という職務の特


