◆S46.10.15 東京地裁 昭和33(行)103 懲戒処分取消請求事件(26)◇
実際には一時的である(なお、わが国では、争議行為による職務の停止はあるが、廃止は一般的にはない。)。したがつて、争議行為によつて国民生活に重大な障害をもたらす場合とはどういう場合かを考える際には、職務の停廃によつて国民が耐えがたい苦痛を受けるか否かではなく、争議行為という一時的な職務の停廃によつても、なお、国民の利益に重大な障害をもたらす場合であるかどうかという観点から、さらに判断されなければならない。長期にわたる職務の停廃がなければ重大な障害をもたらさない職務の場合には、少なくとも原則的には(すなわち、通常の場合には)制限することを必要としないのであつて、例外的な場合、すなわち、長期にわたり重大な障害がもたらされる場合にのみ、制限または禁止すれば足りることになる。もし、一時的な職務の停廃によつては重大な障害が現に発生せず、あるいは、発生の危険性もないのに、そうした場合をも含めて制限・禁止することになると、その制限・禁止の範囲は無限に拡大されていくことになるであろう。(ロ)また、「一時的」であることとの関連において、争議行為による重大な障害というのは、「ただちに」もたらされるものでなければならないということになる。そうではなく、争議行為によつて将来惹起されるかも知れないことまでをも予想して、事前に包括的に制限・禁止することができるのだとすると、制限・禁止の範囲はまた無限に拡大していくことになる。現に、都教組判決が「その争議行為が常に直ちに公務の停廃をきたし………」といつているのも、その趣旨である。
(2) 「国政の停廃」は、争議権制限の理由となるか。
争議権制限の原理としては、以上述べたところをもつて必要かつ十分とし、これ以外の原理を争議権制限の論拠として持ち込むべきではないと考える。そうでないと、全体の奉仕者論や公共の福祉論がかつて争議権を不当に制限する論拠とされたように、いたずらに争議権の制限を拡大していくことを許容することになるからである。ことに、このような抽象的な適用上の拡大を許容するような原理を持ち込むことは、きわめて危険である。
さきに述べた「国民生活に対する重大な障害」とか、国際労働機構(以下ILOという。)のいう「公共の困苦」とかによ


