昭和46年行政訴訟…懲戒処分取消請求事件(59)


◆S46.10.15 東京地裁 昭和33(行)103 懲戒処分取消請求事件(59)◇

◆S46.10.15 東京地裁 昭和33(行)103 懲戒処分取消請求事件(59)◇

の勤務評定
教員に対する勤務評定制度は、昭和三一年、愛媛県において、赤字財政克服の手段として昇給差別を行なうために、はじめて実施された。当初は、その政治的意図は必ずしも明白でなかつたが、翌昭和三二年に至ると、財政は黒字であり、昇給差別の必要は存在しなかつたにもかかわらず、同年一一月二五日に自由民主党同県連が、勤務評定により日教組からの組合員の脱退を促進させ、組合に圧迫を加える趣旨の決定を出すや、同県教育委員会も勤務評定を強行する方針を打ち出し、校長を含めた教員たちの反対を押し切つてこれを強行し、ここに勤務評定の政治的意図はきわめて明白になつた。このように、愛媛県では、勤務評定が組合の分断・支配の具として使われ、その後数年にして、組合員は一〇、〇〇〇名から数百名に減つた。しかも、勤務評定は自由民主党の政策と結合して行なわれ、教員組合の破壊のうえに、同党や教育委員会の息のかかつた愛教研や日本教師の会の育成が行なわれた。組合破壊政策としての勤務評定は、その後、たとえば昭和三六年以後実施された全国いつせい学力テストにおける極端なテスト準備教育と不正手段によるテスト実施による教育の荒廃をもたらすに至つた。勤務評定政策による教育の破壊・荒廃は、いまなお、深い病根を残しているのである。
このようにして、勤務評定制度が日教組およびそのさん下の都道府県教職員組合の分裂・脱退工作および教育支配としてきわめて有効であることを認識した政府・自由民主党は、都道府県教育委員会を通じてこれを全国的に実施することを企て、全国都道府県教育長協議会を通じて昭和三二年一二月二〇日全国試案をまとめ、昭和三三年度から実施を強行しようとしたのである。勤務評定制度ほど明確な教員組合の分裂・弾圧政策は、それまでになかつたといつてよい。右全国試案やその後実施された勤評規則は、勤務評定が公平であり、かつ、客観的であるとの保障はなんらなく、勤務評定の結果は本人には通知されず、もちろん、勤務評定に対する不服審査のみちもない。
勤務評定が不当労働行為・差別待遇の手段としてなされた意図は、これらの事実から十分にうかがい知られよう。
(B) 勤務評定の政治的ねらい
それと同時に、勤務評定は、戦後の



  • おすすめ

    • -
    • -


  • ◆昭和46年行政訴訟 1 2 3 4 5 6 7 1 2 3


    2011年10月:更新しました。やっと涼しい秋となりました。